ただの店

私の住んでいる南ドイツの小さな町では
今年の2月「ただの店」を3週間にわたって
毎週土曜日の数時間に試験的に開店しました。

ものすごい反響だったため、市の賛同を得て、
5月から場所も恒常的に確保して、毎週土曜日の
10時から12時まで本格的に開店する運びと
なりました。

誰でも家で余っているもの(衣服類、食器類、
手に持てるサイズの電化製品等)を持ってきて良し、
誰でもいいと思うものを持っていって良し。
つまり交換所のような役割を果たす店です。

物を心なしに捨ててしまうのではなく、
他の人に喜んで使ってもらえるなら
どんなに意味あることでしょう。

それに折から今ドイツは難民対策が大きな社会問題と
なっています。

ここの町もたくさんの難民を受け入れています。

そういった方たちに物資をただで提供できる場がある
というのはとても素晴らしいことです。

ということで、本来理想的なイニシアティブ
のはずなのですが・・・

問題は、人々が「ただ」ということと
正しく付き合えないことです。

残念ながら「ただ」だからなんでもしていい、
と考える人がいるんですね。

開店して最初の30分の間に
ボランティアが綺麗に陳列した
衣服が目茶目茶になってなくなってしまう。

サイズも見ずにどんどん持ってきたカバンに
衣服を詰め込む。

持って行った物を後でゴミのコンテナに捨てる。

持って行った物を転売する。

ボランティアの持ち物がおいてある所に入り込んで、
それまで持って行こうとする。

等々、信じられない人間の行動が問題になっています。

つまり、「ただ」だから上記のことをしてもいいと
思い込んでいる人がいるわけです。

悲しいかな。

ということで、入場制限をしたり、制限時間を定めたり
しているのですが、来年はじめ頃から一品1EURとかの
値段を付けて「ほとんどただの店」に変形することに
なりそうな気配です。

ま、私はこの状態を見ていてほぼ最初から
「ただ」は機能しないと見ていました。

しかし、ここがキリスト教世界というか何というか、
値段を付けることに対する反対意見は
根強かったんですよね。

まるで、難民受け入れに制限を付けるという意見が
こてんんぱんに批判されるのと同じような感じです。

社会的であるということ、人を助けるということ、
本来これほど難しいことはないのです。

縁あって7,8年前にマザーハウスの山口絵里子さんに
お会いしたことがありましたが、その時、
「私、可哀想だから助けるって、嫌なんです。」
とおっしゃっていましたっけ。

そのはっきりとした言葉と、彼女のまっすぐな目、
忘れられません。
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by mamapanda_mimi | 2015-10-26 00:43 | 社会 | Trackback | Comments(0)
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